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ウェブスター郡()は、アメリカ合衆国ミズーリ州の南部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は36,202人であり、2000年の31,045人から16.6%増加した〔Quickfacts.census.gov - Webster County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地はマーシュフィールド市(人口6,633人〔Quickfacts.census.gov - Marshfield, Missouri - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市でもある。ウェブスター郡は1855年3月3日に組織化され、郡名はアメリカ合衆国上院議員、アメリカ合衆国国務長官を務めたダニエル・ウェブスターに因んで名付けられた〔http://www.webstercountymo.gov/pages/about/〕。 ウェブスター郡はスプリングフィールド大都市圏に属している。 == 歴史 == ウェブスター郡では、ミズーリ川とアーカンザス川の間の尾根に、ジェイムズ川、ナイアンガ川、ガスコネード川、ポンドテレ川の水源がある。1808年のオーセージ族インディアンによる土地割譲の一部だった地域には、1830年代初期には既にケンタッキー州やテネシー州から来た開拓者が入っていた。インディアン道が郡南部を通り、前史時代の多くのマウンドが残っている。 ウェブスター郡は1855年3月3日に組織化され、全長590マイル (940 km) の標高があり、広大な高地ミズーリ・オザークに広がっている。郡庁所在地はマーシュフィールドであり、その標高は1,490フィート (454 m) である。州内の郡庁所在地としては最も高い位置にある。初期の議員ジョン・F・マクマハンがダニエル・ウェブスターに因んで郡名を、マサチューセッツ州マーシュフィールドに因んで都市名を付けた〔http://www.webstercountymo.gov/pages/about/〕。 マーシュフィールドの町は、C・F・ドライデンとW・T・バーフォードおよびB・F・T・バーフォードに与えられていた土地に、R・H・ピッツが区画割りを行った。郡庁舎ができるまで、郡の実務は、後にミズーリ州知事になったジョセフ・W・マクラーグが雑貨店を経営していたヘイゼルウッドで行われた。現在あるカーシージ大理石造りの郡庁舎は1939年から1941年に建てられたものであり、3代目である〔http://www.webstercountymo.gov/pages/about/〕。 南北戦争中の1862年2月、南軍寄りの小さな部隊がマーシュフィールドが追い出され、その10か月後には南軍の部隊が町の東で潰走させられた。1863年1月9日、ジョセフ・O・シェルビー将軍の部隊が、マーシュフィールドとサンドスプリングスに堅固に造られていた北軍の砦を焼いた。これら砦はそれ以前に駐屯部隊がいなくなっていた。1862年までに電信線がマーシュフィールド近くに架設された。その設置された道路は後に「オールド・ワイヤー道路」と呼ばれた〔http://www.webstercountymo.gov/pages/about/〕。 南北戦争後は鉄道建設ブームが郡の成長を刺激し、酪農業、養鶏など家畜生産者が増えた。1872年、アトランティック・アンド・パシフィック鉄道(フリスコ鉄道)がマーシュフィールドを通り、1883年にはカンザスシティ・スプリングフィールド・アンド・メンフィス鉄道が郡内を横切った。鉄道の沿線にシーモア、ロジャーズビル、フォードランド、ナイアンガの町が成長した。郡初期の学校としては1860年に認可されたマーシュフィールド・アカデミー、1873年に開設されたマウントデール・アカデミー、1879年に認可されたヘンダーソン・アカデミーがあった。今日でも教育は郡の基盤となっている。 1880年4月18日、藤田スケールF4の激しい竜巻がマーシュフィールドを襲った。その通過した跡は幅800ヤード (720 m)、長さ64マイル (102 km) に及んだ。この竜巻による死者は99人、負傷者は100人となり、マーシュフィールド住民の10%が死亡し、建物は15軒を除いて全てがはかいされたとされている。アフリカ系アメリカ人音楽家ジョン・W・ブーンが作曲した『マーシュフィールド・サイクロン』はこの被害を広く伝えている。国内の自然災害の中でも10傑に入っている。 天文学者エドウィン・P・ハッブル(1889年-1953年)はマーシュフィールドで生まれ、公立学校の3年生まで町の学校に通った。ハッブルの望遠鏡の複製品が郡庁舎庭に置かれており、マーシュフィールドを通る州間高速道路の部分はハッブルの名前が与えられている。 マーシュフィールドは、ミシシッピ川より西で初の独立記念日パレードを行った所とされている。ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領とその妻バーバラが、ミズーリ州での大統領選挙運動で、1991年7月4日のパレードに町を訪れた。ウェブスター郡は州内でも郡祭を最も長く続けて祝っていることも誇りにしている。 毎年開催されるシーモア・リンゴ祭は1973年に開始され、州内最大級の祭に成長した。毎年9月第2週末にシーモアの公共広場で開催されるこの祭には推計3万人以上の観衆が訪れている。この祭は1840年代に始まったシーモアのリンゴ産業を祝うものであり、州内リンゴ生産高の50%以上を生産していた20世紀への変わり目頃には、「大きな赤いリンゴの土地」と呼ばれていた。 毎年3日間開催されるこの祭では、10以上のミュージカル、あらゆる年代のための数多い競技会、150以上の工芸品や料理の屋台が出て、鶏肉のバーベキューが呼び物になっている。シーモア商業協会が後援し、完全に町のボランティアによって運営されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウェブスター郡 (ミズーリ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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